| 2003年12月30日(火)。AM11:20頃。 神柱宮の大鳥居です。参道正面入り口で、人々を本殿へ導きます。木柱ならまだいいがなとも思いました。 神柱宮は、蛙が子供の頃は、神柱神社と呼ばれていましたが、案内によると、昭和57年に現在の社名に変更したようです。 もともと平季基によって、島津荘の総鎮守として、別の梅北町に建てられたそうです。現在の小松原町へは、明治7年に鎮座したとのことです。 蛙には、むかしの遊び場の一つでもありました。参道の両脇には、大晦日から新年の参拝に備えて、出店がすでにその準備もだいたい終えていました。まだ出店が増えるのかもしれません。 都城市や、近辺郡部出身の方には懐かしく映るやかもしれません。どうです、まだ間に合いますよ。たまには田舎に帰省してみては・・・ |
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小さな池の中央にある東屋が見えます。 むかしはボート漕ぎを楽しみました。 |
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| ・境内本殿の隣りの一角には、昔の護国鎮守の象徴があります。(下、画像の鉄の設置物です) |
| 魚雷と二つの砲弾です。 蛙が小さい頃は、ここで遊ぶ時など、この魚雷に跨ったりして、悪戯していました。その頃はまだこの鉄が、意味することをよく知りませんでした。 もっぱら猿蟹合戦の格好の舞台として、役を演じていました。 おいが親父は戦車隊長だぞ! なあにおいが叔父さんは一人は特攻隊、もう一人は海の艦で戦死だ! たわいないことを自慢しあっていました。 いまでは、ここで普段遊ぶことはできないみたいです。 |
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| ・次の画像は、公園に隣接して流れる親子の風景です。川の名前は忘れました。近くのもう一つの川と合流し、利見川と して流れ行きます。 やがて大淀川に取り込まれて消えていきます。 |
| 神柱公園を流れる両岸には、子供連れの家族が晦の休みを楽しんでいました。 親子が鯉の餌を与えると、さーっと鯉が群れとなって、我先によってきました。 のどかな日差しは、家族の幸せを温かく照らしていました。 ひとが皆、こうしたささやかな一時を持てたらと 泡沫にきえました 2003年12月30日(火)AM11:20〜40頃。 |
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