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ぼんち情報
ぼんち蛙通信5−1月号
2004年祝吉御所と早水神社
2005年1月8日(土)於:ウエルネス交流プラザ
都城島津家の当主、島津久厚氏から、都城市へ、島津家所蔵の史料群が寄贈されたのを記念して、講演会がありました。
約一万点余りの史料とのことで、新しい歴史的発見史料等が見つかるかも知れません。
これから約五年くらいかけてその史料目録が整理され、一般にも公開される予定です。
そのうち何点かの史料等が、都城歴史資料館で特別に公開されています。 開催期間:平成17年1月8日(土)〜1月23日(日)。
きょうは、その史料寄贈記念の講演会がありました。
左の方が、島津久厚氏です。講師は鹿児島大学法文学部教授の原口 泉氏です(右の方)。
「島津家の史料は、都城にあってこそ価値がある」(都城歴史資料館資料より)との
強い意向で、寄贈されたとのことでした。都城島津家の二十八代当主である島津久厚氏の話には、島津の荘(都城地域の古称の一つ)への愛着がにじみ出ていました。
講師の原口 泉氏です。親子二代にわたる、歴史学者です。
特に島津氏を中心にしたその学識は、当地でも知らぬ人はないくらいです。
話しぶりを楽しみにして、拝聴したのですが、実に楽しく、示唆にとんだ内容でした。
町づくりから、これからの地域発展のヒント等が面白おかしく話されます
いまよくマスコミ等で話されています、グローバリズムとローカル主義の進展などを
絡ませての内容でもありました。
父上と瓜二つの姿は、その話振りにも表れておりました。
都城歴史資料館の正門です。
裏から見た正門です。平成元年にできました。
歴史資料館は、都之城址にあります。現在の都城の地名のもととなったお城です。
歴史資料館の本丸です。当市に関わる資料、史料等が
展示されています。
正月、都城島津家史料寄贈記念の特別展が、開催され
ました(1月8日から1月23日の間)。
従来からの史料はいまも展示されているはずです。
万が一展示の無かった時は、糞垂れといってください。
あなかしこ。
場所:
〒885−0083
都城市都島町803番地(城山公園内)
開館時間:AM9:30〜PM5:00(入館はPM4:30まで)
休館日:毎週月曜日(祝日、振替休日の時は、翌日休館
その他12月31〜1月2日は休日です。
入館料:大人 210円(団体150円)
高校生 150円(大体100円)
小中学生 100円(団体 50円)
*毎週土曜日は小中学生無料です。
*身体障害者の方は無料です。
*団体料金は20名以上です。
島津光久の娘の鶴千代像です。
都城島津家忠長の養女となった。
肖像は、狩野派の様式にあると
説明にあります(資料館資料)。
宣長にはござらんですぞ。ニ十二代当主の、
島津久倫(ひさとも)像です。
「庄内地理志」の編纂事業を始めた人と
いわれます。庄内の名は、
昔の都城地域の古称の一つです(資料館資料)。
図は、久倫の室。
宮之城(鹿児島県)領主島津図書久亮の娘。
(資料館資料)
久倫の後室。
北郷久冨の娘。清香院。
(資料館資料)
足利尊氏御判御教書(あしかがたかうじごはんのみぎょうしょ)
とは、室町幕府将軍が花押を押して発給した文書。
肝付兼重の誅伐を命じた時のもの(資料館資料)。
足利直義(ただよし。尊氏の弟)の、戦功認定感謝状。
(資料館資料)
麒麟・鳳凰図屏風。江戸後期の作。狩野派の影響が見られると説明にある。(資料館資料)
紺糸威鳩胸皮胴具足
二十三代島津久統(ひさのり)の所用の甲冑です。胴は一枚鉄で、前後二枚より構成されている。西欧甲冑の形式を踏襲していて、胸部が鳩の胸のように膨らんでいる。(資料館資料)
金梨地貝尽文蒔絵鞍。
馬の鞍です。万治元年(1660)極月(12月)の日に成った
と、製作年銘と作者の花押がある。作者不明。(資料館資料)
黒漆三猿文蒔絵鐙(あぶみ)。
「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿を表したあぶみです。
(資料館資料)
島津家本家領内麁図(そず)。薩摩、大隈、日向の国ごとに色分けされています。種子屋久以下諸島の絵図もあった
そうですが現在は欠損しているとのこと。大崎、志布志、松山が、昔は日向であったそうだ。原口講師の祖先は大崎
の方だそうだ。奥さんは琉球出身とのこと。図ではみにくいですが、桜島はまだいわゆる島です。
(図 : 資料館資料)
伝北郷時久筆諸寺家定法。時久の真筆と伝えられているそうです。
領内の寺院に出された法令です(戦国時代)。 当時では(も)当たり前のことが、
なかなか面白くしたためられています。昔の寺の坊主にもやんちゃがいたようです。
(資料館資料)
寛政10年〜文政期(1798〜1830)に都城島津家の記録方によて作られた都城領域の地誌です。
112巻と拾遺の全113巻からなるそうです。現存するのは103巻。記録方役人の荒川儀方が中心となって
編纂したとのこと。寛政10年に領主島津久倫(ひさとも)が、「庄内旧伝編集方」を設置し、都城の歴史・風土
・地理・史跡や古文書・古記録の調査を記録奉行北郷良之進に命じたことから、「庄内地理志」の編纂は始まった
そうです。都城の風土・地名の由来だけでなく、当時伝来した古文書・古記録をはじめ、石造物や棟札の記録、
当時の絵図やスケッチまでも納めらており、当地域の歴史を知る上で欠かすことのできない基本史料です。
東京大学史料編纂所にも明治期の写本が収集され、保存されており、全国でも注目される貴重な史料です。
現在、地理志は、都城市編纂事業で、「都城市史 史料編 近世」(全五巻)として全文翻刻・刊行されています。
(このページの史料画像・説明は、都城歴史資料館の資料によります。)
*余談ですが、歴史資料館の隣には狭野神社があります。 祭神は、神武天皇です。
神武天皇は高原が生まれ故郷と伝えられていますが、東征の折、今の歴史資料館がある
城山に館を構えてから出立ちしたとの云われがありますので、狭野神社の分祀があるのでしようか・・。
記紀的社と歴史資料館の隣り合わせも、妙な感じのすることであります。
霧島山の霧は雲海の妙であってもらいたいものです。
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